先日のとある件での事情によりwikipediaについて色々と文献を見たり、他のローカルルール等を見てまわってる最中なのだが、調べれば調べるほど凄いわ。wikipedia界を甘く見ていた。wikipedia界での基本的な常識方針なのだが、記事作りに際し「真実かどうか」が最重要ではない辺りで少しショックを受けた。
Wikipedia:検証可能性 - Wikipedia
この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。
(略)
ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。
「真実かどうかを確かめる調査をしてはいけない」
wikiペ内での長年の論争により導き出された答えなのだが、何かを調べようとしてwikipediaに来ても、それは真実とは限らないわけか(それ自体は今さらだけどさ)。検証可能かどうかが優先、ならもうリンク集でいいんじゃねーの? しかもリンク先の内容が間違いかどうかは関係ないんだろ? リンク先の奴がこれは間違いだったと発表したとしてもそれをwikiペに載せてはいけないとか何だかな。長い文をずっと色々読んでくうちに早い話が「責任とりたくない」という風にも読めた。(※別に悪くない)
「独自研究を発表してはならない」
「他からちょっとでも引用したらルール違反」
この二つのルールが同じ場所で存在してるのって、矛盾してないか?こうした世界を「ルールだから正しい」で疑問持たない連中に、前の日記文が通じるわけないのが改めてわかった。漏れには連中に通じる文を書くのは無理だ。一応書くだけは書いてみようかと思うけど、過去記事の焼き直しと大差ないものになるかと思う。ただ、漏れの文って分散してて自分で見ても判りにくいから、まとめるきっかけくらいにはなるか? 携帯小説の連中は文が見易く簡潔でわかりやすく羨ましい。イヤミでなくマジに。どうやったらあんな映像のような文を書けるのだろう。すげーよ。
先日書いた「著作主がいいと言ったあとも消せと言うのはおかしい」
という感想は他ローカルルールを読んだあとでもやはり変わらない。
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あ〜、とらのあなのペーパー付きは無くなって間に合わなかった。